およそ全ての生き物の目的は、「遺伝子を未来につなぐ事」だと考えられています。
交尾して子孫を残すのが生物の主たる目的であり、自分の身を守る事や食事をする事は、主たる目的を達成するために必要な、副次的な目的に過ぎない。
自然界の、交尾におけるオスの受難を見ると、その論に説得力を感じます。
・交尾の直後にメスに食べられるカマキリやクモの仲間
・交尾した直後に力尽きて息絶えるシャケ
・一度発情したら、失明し過労死するまで交尾をし続けるアンテキヌス
・メスに融合吸収され、同化するチョウチンアンコウの仲間
セックスのために命を懸けるのがオスというもの…とも言えます。
もっとも、メスにはメスで産卵や出産という、非常にエネルギーを使う仕事があるので、オスだけが不当に虐げられているわけでもないでしょう。
生物は子を残すために生きている。より正確に言えば、遺伝子をもつ子孫を残すために生きているように見えます。
では、「遺伝子を残す」という事は、生き物の普遍的な目的であると言えるのでしょうか?
なぜ、生物は遺伝子を残そうとするのか?
それを不思議に思って布団の中で考えていたところ、どうやら私は原因と結果を取り違えていたらしい事に気がつきました。
「もし、遺伝子を残したいと思わない生物がいたら、その遺伝子は今、残ってないじゃん」
ああ、つまり今残っている生物は、積極的に自分の遺伝子を残そうとした遺伝子を受け継いでいるのであって、なんのために生きているとかそういうんじゃなくて、結果としてそういう風に生きているだけなんだなあ、と。
「生物は、遺伝子を残すために行動している」のは事実。
それは認めたうえで、遺伝子を残す事に「理由」はない。
結果として、遺伝子を残すように行動する遺伝子のみが現在、生存している。
なぜならば、そうでない遺伝子は、遺伝子を残さないから。
そう考えると、生き物が生きている事に、そもそも普遍的な理由なんてないじゃないか。
もっとも、人間は無目的に生きるなんて耐えられなくて、できれば目的があった方が楽しいから、その人なりの目的を見つけるのでしょう。
「LGBTは生産性がない」なんて言った政治家もいて、ともすれば私を含めて子供を残そうという意志のない人が肩身の狭い思いをする世の中でもありますが、結局のところ、自分なりの生きる理由があればいいんじゃないですかねって思う日曜日の午後でした。
という戯言。Easy oar.
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